武蔵屋帝国特別企画・水下きよしロングインタビュー

7月某日、恋愛考の稽古でお忙しい中、今回のお芝居についてのお話を伺うことが出来ました。 水下きよし、恋愛考と宮沢賢治を語るっ!   舞台の内容にふれている「ネタバレ」の部分があります。

賢治と恋愛 =としこへの愛=

まずはじめに、今回の舞台は宮沢賢治を題材にしつつ「恋愛考」というタイトルなのか?です。
宮沢賢治というと一般的に恋愛のイメージとは程遠い気がするのですが。 チラシに「としこをあれだけ愛した人だから」とありましたが、水下さんが言う、宮沢賢治のとしこへの愛は、どんなものですか?

賢治のとしこへの愛? それは、もう、異常な愛でしょう。

異性として、としこを女としてということですか?

まあ、妹としてもですけど、どこかちょっと近親相姦入ってる感じのする・・もちろん肉体的には ないでしょうけど、(彼女を)とことん愛してるわけですから。

そういう妹、ほしいですか?

いらない(即答)。 けど、本当に可愛がっていたんでしょうね。としこは頭がいい人だったみたいだし、能力があったのに(日本女子大学家政学部 目白寮にて学生生活を送っていた。)病気になってしまったし。
(賢治は)父親との確執があったし、それに対する、理解者であったろうし。


共通項という試み =シグナルとシグナレス=

今回の「恋愛考」というタイトルについて教えてください。

折角いっしょにやるんだからってことで、何か共通項をだそうかと。(boundの)吉田君が恋愛に関してのものをよく書いてるからね。
恋愛論、恋愛を考える愛を考える、で恋愛考。 宮沢賢治は、少ないけれども恋の物語もあるし、まぁそれにひっかけて。
だからって、クローズアップはされていないけれどもね。

(宮沢賢治の)恋のお話のなかから、テキストとして選択したのが、「シグナルとシグナレス」なんですか?

そうです。

吉田さんの作られてる作品(恋愛考)は「シグナルとシグナレス」をベースに作られてるんですか?

吉田さんは吉田さんで、全然違うテキストをつくっているの。bound用に。
その前に、過去に吉田さんが書いた作品を(別のユニットの為に書いたもの)を何本か頂いて、そのなかから2本、BoroBonで使えそうなのをもらって、(シグナルとシグナレスに)埋め込むっていう作業をしてるの。

bound用に作ってるテキストは65シーンくらいあって、一個一個のシーンは全然つながってないんだけど、ひとつひとつ完結してて短いシーン。
それをどうするかは考え中で、使えそうなら使うかなあって感じで、どうしようかってね。

まるまる、「シグナルとシグナレス」 だけの話じゃないんですか?

「シグナルとシグナレス」に、(吉田さんの)テキストをいれこんでいる、って感じ。 賢治だけじゃなくて吉田さんのテキストも使うってことだからね。
どういう風に見えるかはみた人の感覚で、吉田さんのテキストが宮沢賢治と対峙してるようにみえるかもしれないし。 それが遊んでるって感じになればいいなと、思うし。
吉田祥二のテキストも遊んでるし、宮沢賢治のテキストも遊んでるっていう風にみえたらって思う。

「遊び」という部分を感じてほしいですか?

遊びの部分というか。うーん。

どんなとこを「観て」欲しいですか?

うーん、わかんないっ。(苦笑い)
あー、こんな風になるんだ、とか。賢治をこんなんしてもいいんだ、とかね。

空間的には装置ありき、なのですごく難しい。 装置の中にどうその作品を埋めていって、新しい作品をつくり出すかってことをしていきたかったので。
で、(今回は)同じ装置でやるっていうのがひとつの考えなんだよね。


装置ありき= boundの空間=

一般的には、お話があってそこから装置を考えますが、初めに装置ありき、っていうのとではどちらが やりやすいですか?

それは、もう。最初に装置がないってのがやりやすいです。
ただ、最初に装置がある場合、装置のこの場所に来た時に、こんなことができるかもしれないっていうのが、 話が決まって無くてもできそうじゃないですか。宮沢賢治とか詩だったらできそうだったから、できるかな?と。
前のboundさんの公演の時に(002※)、この装置だったら、何かできそうだなあと思ったんで。 このまま、(2つの芝居を)同じ装置でやるのって非常におもしろいかな、と。

(bound*002『blanc-ブランク-』 2002年2月9日〜11日@こまばアゴラ劇場)

boundさんていうのは、ずーっと同じ装置で公演されてるんですか?

ううん、違う違う。

ちゃんと公演ごとに装置をつくっていらっしゃる?

そうそう。
今回のは、最初やる時にどうしようかって話してて。
制約をつけて建物みたいにして、壁と窓とか、空間が仕切られてて屋根が一箇所くらいある・・・・。 考えてみたら、公園なんかにあるでしょう。
(※東屋みたいなもののようです。スケッチは、バウンドさんのWEBサイト表紙に掲載されています。)
建築途中の場所で遊んでる、とか。 どんな使い方でもできる、そこから何が生み出されるか。

どんなことにも使える分、どうなるんだかがこちらにはさっぱり見当がつかないですね。

そう。だから、まだまだわかんないのよ。
装置がちゃんと出来上がったときに、どうみえるのか。色もみてさ、(イメージしていたのと)違うかもしれないしね。

まだ装置はできてないんですか?

模型もみてるけど、同じ大きさでみてないし同じ色でみてない。素材は建築素材資材を使うんですよ、木とか。
斉藤(斉藤力)さんは、建築家なので。 おうちを建てたりインテリア作ったり、非常に「きれいな空間」をつくる人ですよ。 そういう空間でやってみたいな、おもしろいなと。
でも、難しいっちゃ、難しいですね。特に今回の装置は「難しい」。その中でいかに遊べるか、だからなあ。

その建築家の方は、お芝居を知っていて、いつも装置を作っているのではないですよね?

公演の装置をつくる時は、演出家の人がこんな感じって話して、んじゃ、こんなの作りましょってしてるんだと思うよ。
いつもコラボレーションしてるから。それがおもしろいとこだから。

ふつうの芝居の大道具さんだったら、芝居の構成上、装置として、ありえない「家」をつくるじゃないですか。
一般的な建築家の人からしたら、ありえない家をつくることは、建築家の方は抵抗ないんでしょうか?

そんなことはないでしょ。 ただ、構造物にはしたくないと思う。別に家を建てるわけじゃないから。
こういうものをここに置きたいんだけどどうかな?とかね。芝居ずれしてない装置家、っていうか、「視点が別にある」装置家ですね。

新鮮な舞台だったんですか?

きれいだったよ。それは、前の作品だったけど。
今回のは確かに(模型が)きれいだし、できあがったら、もっと違うんだろうなって。それが、どういう質感でどういう空間になるのかが楽しみ。 色もきっときれいだろうから。 白と木の色が基調になってるんだけどね。

装置の出来上がりが楽しみですね。

うーん。もしかしたら「どうしよう・・・」ってなるかもしれないんだけども。 もっかいそこで考えるかもしれないけど。


賢治異変 =音、からしてなんか違う賢治=

お話を伺うと、「シグナルとシグナレス」のまま、ではないようですが?

いや。 まま、ですよ。ほとんどまま。 間に賢治の詩が何本か挟まっているだけで。
最初に出てくる詩にそれに曲をつけてもらったんだけどマキマキに(※弾丸列車等の音響・音楽担当) サンバチックにつくってもらったのよ。 その瞬間にもう、「宮沢賢治っぽくないだろっ」って、そういう風に したいなーと思って。
あと、間に賢治の詩を入れたいなと考えてるのでいろんなアレンジを頼んでるけど。たとえば、ボサノバ風とかね。 衣装もこんなの着せて、とか。

制作も舞台監督も何もかもやっていらっしゃるのですか?

いや、制作はboundの方もいてくださるし、舞台監督は舞台監督の方がいるし。

衣装、音楽等、プラン全般は、By水下なんですか?

そう、プランはね。こんなのがいいんだけどねーとか。まあ、前回の「どんどこどん」の時にもやってるからね。
(1/1〜3、駒場アゴラ劇場 BoroBon企画)
たくさんお客さんがきてくれるとうれしいなあと。
花組芝居とは全然違うものをやるんですけど、そういう芝居を絶対やりたいってわけではなくて、今回たまたま こういう芝居になっただけだから。 いつもの芝居もやりたいし。

普段花組芝居で出てる時は、役者だけですか?

そりゃ、花組(芝居)の時は、当然役者一本だけですよ。

次にお芝居をBoroBon企画でやる時には、また違うものになるとか?

全然わかんないですけどね。

その時にやりたいことを(やる)?

あんまり周りでやってないようなことがいいなぁと。

その路線でずーっと行くわけではなくて、「あ、これもいいかも」って思ったようなものをどんどんやっていくと いう感じですか?

んー、普通の物語もやってみたいんだろうしなあ。

「シグナルとシグナレス」は、お芝居にするより、お話してもらう形式のほうが、楽というかいいような気が するんですが、わざわざお芝居のかたちにするっていうのは大変ではないですか?

いや、宮沢賢治はもう、どれもそうじゃないですか。台詞のあいだの「ト書き」がいいわけですから。
風がびゅうびゅうふいてきてどうなりましたとか、月が「がぶん」と沈みました、とか。

でもそういう、ト書きの部分っていうのは、台詞にしたら、なくなってしまうのでは?

そうそう。それをなくてもいいから妙な世界にできたらいいなって。世界観とか、空気感っていうのかな、 「あ、変なもの観たわーっ」って。 だから、すごく好き嫌いはでるだろうし。
けど、それを意識するとリーディングになっちゃうのもつまんないんで。
確かにいいんですけどね、音(おん)としてはすごく。 悩むとこなんですよねー、そこは(ト書きの音の表現は)宮沢賢治の難しさなんですよね。

あのー。変な話なんですが、動くんですか?

役者が?

はい。

動きますよおおっ。

動くんだ・・・(電柱なのに)。  電柱と屋根なのに、動くんですか。

うーん。例えば、夢の断片だと思ってもらえれば。夢をみた時には、電柱が動き出すだろうし。
電柱が台詞を言ってるだけで、台詞がつながってるから動きがつながって無くても断片でいいじゃないかなと。
夢みたいな、妙な、これでおわったのに次はなんでこのカットから始まるんだろう?っていう形でもいいんじゃないかと。

夢だったら、おかしいなーと、思いながらも自分のなかではおかしいことがおかしくなってない。 そんな感じですか?

おかしいな?って思うんだけど。感覚的には大きなもの(夢)につつまれていれば大丈夫じゃないですか。
その大きなものに包むことができるかどうかだと思ってはいるんです。それをどうするかってことなんですけど。


賢治ありき =つまんなかったり説教くさかったリ金持ちだったり=

賢治を読み始めたのはいつごろから、何を読んだのがきっかけなんですか?

大学出てからなんですよ。
ちくま文庫から刊行されていて、宮沢賢治って名前は知ってるんだけど読んだことないなぁって。
で、とりあえず読んでみたら、つまんないのはつまんないし、説教くさいのは説教くさかった。
それで一人でなんかできないかなと思った時に、「よだかの星」は教科書でも読んでるしな、と思って。

あれ、よくできてるんですよ、作品として。
会話があって、情景があって、その情景が次の心情の予告になっていて、どんどん変化していくんです。
で、(よだかは)いろいろがんばっていくんだけども、星になろうとするんだけど、どこにも受け入れられない。
絶望した時に、すぐに救われて、星になれるのかなって思うと星になれない。 がんばってがんばって星に なるんだけども、それは死んで、死んだからお星さまになれるんだよってとらえるか、希望が成就したと考えるか。
受け止め方がひとつではないことがおもしろいんです。
なぜ、あそこで鷹と戦わなかったんだよって思ってもいいし、ひょっとしたら、よだかは嫌われてしかるべき奴 なのかもしれない、自分だけはなんで嫌われてるんだろう?って思ってるのかもしれないし。

それだけじゃなくて、アイデンティティの喪失を初めて知ったというか、僕って何者なんだろう?って、非常に考えて、 そこはすごくおもしろくて役割がちゃんとあって、自然の情景が心情の情景になってる。
これは、完成された作品だなあって、声をだして読むのにおもしろいんじゃないかなって。
これをきっかけにして、いろいろ読むようになったんです。
初めてやったのはアゴラで大学出て24、5くらいの頃、他にスノーマンとショートショートを友人と二人でやったん ですけどね。 

宮沢賢治っていうのは、世間の人が思ってるほど清い人ではなくてね。まぁ清い人なんだけどブルジョワ人で、 (著作は)金持ちの道楽だから。
後ろ手を組んで畑でうつむいてる写真がありますけど、あれは本で読んだんですけど、ベートーベンが好きで ベートーベンがそういう写真撮ってるから自分も撮りたくて、「街の」写真屋を呼んで畑で撮ったんですから。 そらー、金持ちでしょ。(笑)
それ(ギャップ)があるからおもしろいんですけどね。説教くさいとこでもあるんですよね。

シグナルのシグナレスに対する気持ちも、「あなたが、貧しいから、みすぼらしいから尊いのです。※」という台詞がありますが、じゃあ、シグナレスがたとえばペンキを塗りなおしたりして、きれいだったらどうなるんだ?と、思えるのですが。
(実際の台詞は「僕にはそのつまらないところが尊いんです。」)

それはあるかもしれないね。

(シグナルが)自分がきれいだから、相手がみすぼらしいことで自分に持ってない部分をもっている、そこに美しさをもっているってことを見つけていますよね。

そうですね。だから、思い込んだらきっと一本気に追っかけるタイプなんだろうね、シグナルは。
世界中にたくさんシグナルがいて、その半分は女で、でもその中であなたが一番きれいですよ、全部はみたことがないけどね、きっとそうですよーって押しまくるっていうね。

・・・ぎりぎりなとこで、ストーカータイプですね。

それは、おぼっちゃんのわがままで、他にもっと魅力的な人をみたら、ああなんだ違ったって変わるかもしれないし。
でもそういう、情熱っていうのはね、「わたしはこんなにつまらないんですわ。」といったら「えぇ、わかってますよっ」って 強くていわれても「えっ、ええぇっ??」て思いますよ。 だからいいんですよ。(笑)
えっ、じゃ、私はきれいだったらだめなの?って、そういうおもしろさがあるわけですよ。
そういうことをいわせてしまうおもしろさが。

(本文ではかなり、賢治にしては珍しいロマンスな場面なのだが)コメディに聞こえる・・・。

そう、そう、そう、そう。 ひょっとしたら、そういう言い方ではなくて、そう言いたかったわけではなくて。
「醜いからきれいだっ」ていうことを言いたいわけではなくて、そうじゃないんだよって。
コメディチックではあるんだけど。

気にはなってたんですよ、ずっと。シグナルとシグナレスっていうのは、最初に読んだ時からおもしろいなあ、 あぁ、こんなのもあるんだって。ほんと、数少ない恋愛ものだし。

自分の気持ちが通じるということでもかなり(賢治の作品としては)珍しい部類ですよね。大方、自分の気持ちが受け入れられないか、受け入れられても相手は死んでしまうとか。

そうですね。『めくら葡萄と虹』、『おきな草』もそうですし。めくら葡萄と虹の「※でも、あなたもきれいなんですよ。」って常に(憧れられる側だけが美しいわけではなくて)同じなんですよって、言ってると思う。
(※きれいな虹が、自分が醜いと思っている葡萄にむけて語ることばです)

ちくま文庫のおもしろいのは「遺稿」っていうのがあって、改訂前の文章も全部載ってるの。風の又三郎の「の」が 漢字になってたり。それは(又三郎が)人間じゃなくて、擬人化されてなくて、風のままなんだけどそれはそれで おもしろい。


立体化することば =非日常の言葉が詩として成立すること=

宮沢賢治の文章の掲載の仕方が特殊だと思いますが、その辺りは意識して読むんですか?

ああ。そうだね。例えば詩が【 】でいっぱい書かれてるとか、ね。誰か違う人がいってるんだなとか、心の言葉なんだなとかね。
「あめゆじゅとてちてけんじゃっ」てあるじゃないですか。(※永訣の朝)
あれは、きっと二人で読むほうがおもしろいと思う。かっこがとしこの声として、読む。
一人で読んでもいいんだけど、二人でよむと立体的に聞こえてくる気がする。
こんなきれいなそらから、どろどろのものがふってくるとか。どろどろから、きれいなものが生まれるとかね。
後半のほうが(賢治の著作は)おもしろいよね。

銀河鉄道の夜なんかも、死んだとしこと旅をしているっていう設定だから。
(※カムパネルラは亡くなったとしこであり、現世に帰るジョバンニは賢治であると解釈するテキストがある)
オホーツク挽歌とかあっちのほうにいった時の書いてる詩がそのまま銀河鉄道になってるわけだから、それだけ愛情があったんだよね。

おもしろかったのは、平田陽子(※青年団。平田オリザ氏の奥様)が
「高村光太郎は狂った女を書いたけども、宮沢賢治は自分が狂ってるんだから、この差はすごい」って。
だから、宮沢賢治のほうがすごいんだと、詩としては。(笑)

科学の言葉とか、理科のことば、化け学の言葉、鉱物のことば地学の言葉を詩の言葉に登場させた人はいなかったんじゃないのかなあ。それはすごいよね。音としておもしろい、わかんなくてもおもしろい。
電柱が好きだったんですよ、どっかで俺は。電柱は人にみえるじゃないですか。ロボットみたいだし。それもおもしろいなーと思うのね。

どうなるか、うまく俺が持ってるものを作れるかどうかわかんないけど、ちょっとでも普段ではみられない宮沢賢治を作れればって思ってやってます。


BoroBon 水下プレゼンツ

水下さんが、こういう風に考えている、ということを普段出演者の方と話し合ったりするんですか?

あんまりしませんねええ。へへ。

出来上がった本を渡して「じゃ、やってみて」って感じですか?

そうですね。動いてみて、「ああ、そうなるか。じゃあ、こう動いてみて」って変更したりしてます。
僕がやるのと役者がやるのとは、全然違うことだから。やってみてもらって、次を探していくって感じで作業をしています。

お稽古に入ってどのくらいですか?(※7月上旬現在)

一月半くらいですかね?

boundさんのお稽古とか、お互いのお稽古を観にいったりしてるんですか?

そんな暇はない。(苦笑)

ただ、僕はむこうにゲストとしてでるので、最後の一週間くらいの(むこうが)出来上がったところに行って、僕の役を 渡されて「これだよっ、このシーンに出るんだよ」っていわれるんだけどね。

失礼な言い方ですけど、今回のメンバーでキャリアから考えると水下さんが場を持って行っちゃおうと思えば いけるような気がするんですけど・・・。

それは俺が目立ちたいわけじゃないから。俺は世界観をつくりたいだけだから、絵なんかで遊びの線が一本びっと 走ってるような感じが出てればいいなあと思ってる。
器用じゃないから、演出の時は演出に専念したいし。
大変ですよーっ、両方やるのは。加納はえらいと思う。

ふつうに、役者としてばーっとでて、他をくってもいいから、自分の芝居をやってしまうほうがいいですか?

どっちもどっちでしょ。大変なのは(今回は自分が)言い出しっぺだし。

水下さんがわーっと突っ走っていってしまって、周りが置いてかれちゃったら?

作った時にそうなるかもしれないし。だから、そうなって、ああやって、ってどう変わるかだよね。いろいろやってもらって、どうなるかな、と。

今回が2度目ですよね?水下プレゼンツというか、「BoroBon」ということでやるのは。

そうですね。この歳になってからね。 ちゃんとひととおりずーっとやってきて、こういう風になったの。 やりたいものを少しでもいいから、やっていきたいと思ってる。
あ、『どんどこどん』は観てないんだよね?

観に行ったじゃないですかあああーーー。皆でぇーーーーっ。(絶叫)

え? ・・・あ、どうでした?

台詞がなくて、あいうえおだけでびっくりしてしまいました。あいうえお。で愛が語れるとは思わなかったんですよ。
ちょっとフランス映画みたいだったし。他に、台詞がないなんて、思わなかったんですよ。

ああ。なるほどね。

つまんない人にはつまんないんですよね。なにやりたいんだか、わけわかんないし。
あの時は、言葉をすごく、言葉っていうものに対して、50音が踊っているように出てくればいいって思ってたんだけど、うわー、すごいものをやろうとしてしまったな、と後から思って。
混沌としたものからつくりあげていく、なんか、ただただ、あいうえおの50音が大きな空間に散らばってるのが最後に 集まってくるとかっていうのがおもしろいかなってイメージだったりしてたんだけど、あとは、お客さんの想像力をかきたてて、ああ、こういうことなんだなって、勝手に思ってもらって、一個一個は「個」なんだけど、あとは何か大きなもので 包まれてればいいかなって。

アゴラの時のセットで、箱を使って組替えてるのがことばを組み替えてるみたいにみえておもしろかったですね。

そうそう、そうやって勝手にお客さんが考えてくれるじゃないですか。そんなんでいいんだ、って思ってもらえればいいの。
詩が舞台ってあんまりないじゃないですか。 沈黙とか、間も言葉なんだって感じてもらえればいいの。
boundはある意味、詩が舞台になってるグループなんですね。おもしろかったんですよぉー。

(見たことなくて残念です・・)


おん−おんどく−ろうどく−おんどく =残るおと 残ることば=

「水下きよし」は、最近音というか「音(おん)」に凝っているんですか?
物語をよむということよりも、詩をよむ、イコール音を出すことに重点があるような気がしたのですが。

けど音が無くても大丈夫なんですよ、言葉っていう「音(おと)」は、本来リズムを持ってるし。
今回の舞台は音楽は入りますけどね。

テーマとして「ON−DOKU」を掲げてきてますよね、最近。

物語をよんでる時は、「おんどく」ってなるより朗読になりますから、詩をよんでると(言葉の)音を読んでる、おんどく、ってなる感じがするんですよ。

素をどり、みたいな感じですか?

そうね、衣装つけないっていうか紋付袴だけなのが文字だけで、物語っていうのは衣装をつけてる感じ。

ひとりかいは自分で自分だけを動かしていけばいいですが、あえて自分以外の人も巻き込むのは大変ですね。

そうですね、人をどう動かすか、人とやっていくかっていうことであえて今一歩踏み出したって感じですね。
まあ、いつかひとり会もグループみたいにしてユニットつくっていきたいなあと思ったりしてるんですよね。

ユニットというのは、以前に(南青山)MANDARAでやったような、音楽の出せる人と言葉のおと、のような会ですか?

いえ、読み手だけで。結構、役者さんが観にきてくれて「おもしろいね」って興味持ってくれたりしてるので。
ひとり会は楽〜に愉しんで欲しいっていうのが基本なんですけども。
飲んでもらって、気持ちよくなってもらって。リラックスしてもらって観るっていうか、きちんと聴きますっていうのじゃ なくて、楽しむっていうのが大事なの。

そういえば今日本語がおかしいって指摘する本が多いですが、そういうことを指摘されてうろたえてどうするって思うんですけどね。

壊れてもいいんだけど、残ってればいいんですよ。例えば若菜集とか、読んで「ああ、きれいだな」と思えば残っていくでしょ?
ひとり会でたくさん詩をよんでますけど、そのなかで一遍、一行でいいんです。残ってくれればいいなと思うんですよね。
なんだったんだろー?って思って、でも、帰りにふと情景の一行を思い出してくれればなぁと。一行でも残ってれば、それがいい詩との出会いなんじゃないかなと。


今の水下これからの水下 =これまでのみずした=

それでは、これからやりたいなと思われていることは?この役をやりたいっていうのはありますか?

作っていくっていうことで、積極的になっていきたい。 でないとストレスたまってしまうのだぁ。(笑)
自分がこの役やりたいからこんな演出してほしいなとか思ってみたり、役者としては、呼んで欲しいなって思うし、いい役もかっこいー役もやりたい。

この役者さんとやりたいというのはどうですか?

とにかくいろんな人とやりたい。
役者さんじゃないけど川村毅(第三エロチカ主催・作家、演出家)さんともういっかい、やってみたいかな?ファンタジックなんだよね、ぼくにとっては。川村さんの作品がね。
いろいろやってみたくて、それはどれくらいできるかわかんないんだけど、ぬりえがひとつあって、どのくらい塗りつぶせるかな?っていうのはある。今回はこのへん塗れたから、こんどはこのへん塗ってみようとかね。
いま、すごく、お芝居がおもしろくなってきてるし。

いままでの花組芝居の上演歴で、この役やってみたかったなーっていうのは、ありますか?

いろいろありますよ。立ち役以外とかね。

逆に、この役は俺のだぞ、っていうのは?

どれも。
でも評価は別ね。ま、自分がやった役は愛してますからね。
ただ、この役はこの人しかいないって言っても他の人がやったらまた違うものになるし、そこが芝居のおもしろさですよね。

ひとり会として、東京でやったことを大阪でやったりしてますけど、東京と同じかっていうと、顔が違うなと思うんです。
東京でこうだったから、大阪でもこうだろうっていう予測がとてもつきにくいと思うんですね。

うまい役者さんみたく、平均的にそつなくできないの。ほころびてるの。はははっ。

綻びてるからこそ、綻びかけてる糸をひっぱりたくなると、いうか(笑)

うまくもなりたいんだけど、「すごい役者」になりたい。なんか、わかんないけど「すごいよねー」って。
応援してくださってる人にはむくいたいなあ、って思うんです。
けど、思うだけで死んでしまうかもしれないし。

え。

だって、しょうがないじゃない、結果だもん。
ああ、ここまで開いて、もう少しで満開ああああ、って。ひらきそうだったのにぃぃっ、なんだ散っちゃったのかよーって。
それで「あれ?ま、いいか、ここまでは開いたから」とか「なんだ、散るとこだったんだー」って思ってもらえればいいの。
でも、今は、つくることに、専念したい。役者でも演出でもお芝居でも、創造にかかわっていたい。
僕自身30代の頃とは違ってきてるし。ここまでやってこれて、表現者としてどういう風にこれからやっていくか、というかね。 舞台生活、テレビじゃない空間。もちろん経済的なことも大事だけれども、おもしろい表現をつくっていくってこと、嬉々としてやっていくことが大事なの。嬉々としてやっていけるエネルギーが無くなったらやめればいいかなって思ってる。

本日は貴重なお話をありがとうございました。

●「恋愛考」 7/28−31 駒場アゴラ劇場にて。いつもと違うBoroBon男爵と、ちょっと変わった賢治の世界がここにあります。

「『恋愛考』楽しみにして下さい。ゴゴンゴーと風が吹きます。陽気に汽車が走ります、雪も降ります。星もめぐります。そして、男と女が居ます。」 by 男爵。

皆々様、是非足をお運びくださいませ。
以上、帝国独占?インタビューでした。




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