帝国:お疲れ様でした。
水下:お疲れ様です。
一週間は長いようで短かったですね。
まあねえ、二班でやったからあっという間でしたね八日間は。
一チームで考えれば、五回、三日半くらいの長さですよね。
そうですね。ただ、長くやって貰いたかったのね。一週間続けて同じ役をするってことを経験して欲しかったんですよ。10回いいですか?って中尾さんにお願いしました。
アトリエ公演では最長記録なんですって。
丁度、休日が二日間あったので、そこで両チームともゲネ本番・ゲネ本番って出来て良いかなーって思ったんで、20日からの公演になりました。
今回やってみて、如何でしたか?役者の方々の反応とかは?
うーん。役者の方の感想は役者の方にお聞き頂かないと。
ただ、本番になって解ったって事が有ったって言ってましたね。
例えば?
役が一層いとおしくなったなあとか、ああ、この人はこんなにこの人が大好きだったんだって、心が動いたとか。
出演者のお友達が観に来てくれて「一回観て解んないからもういっぺんって来て観て解った」って言われたんですって。一回観て解らなくても、体が感じたことを回を重ねて観る事で気がつくから解ったって思えるのかなあ。体が理解するっていうのは有ると思うんだよね。
物語じゃないって言うか、その一連の流れの有る物語じゃなくて、起承転結は有るんだけど、有る様には作ってないから。「場」「事」が繋がった話では無いんだけど、最後まで観終わってから初めて全体の流れが解って来るって言うのかなあ。だから話の流れが判って来ると「ああ。」ってなるんじゃないかな?
解りやすいって話では無いけれども、人が人を好きになる話だから解らない事は無いんだよね。
あのー、オオスギは結局死んでしまったんでしょうか?
さあ?
本はどうなっているんですか?
本では、最後にオオスギが映画監督の姿で出てきて、オオスギと他に二人レフ板持って出て来て、カノ子とキヌ子の二人に光が集まって行って、オオスギのカットが掛かって終わり。
最初からオオスギの映画の話でしたって事だったんですか?
そうだよ。『アメリカの夜』って言う映画があって、オープニングの賑やかな曲は、あの映画の曲で始まるって指定になってるんですよ。
で、『アメリカの夜』っていう映画自体がそういう日常と映画が混ざってて一つの作品になるっていう話なんですよ。だから恋愛日記もそういう仕掛けがあるんですよ。
※(本には『トリュフォーに捧ぐ』っていう詞書が有り、『アメリカの夜』という映画が見え隠れしているそうです。
何で(最後に)姿を見せないで声だけだったんですか?
姿を現しても面白いと思ったんだけど、出て来るとしたらあの桜が二つに別れてそこからディレクターズチェアに座るオオスギが見えるって感じにしたかったんだけど、それは(舞台機構その他諸事情で)無理なので、もうじゃあレフ板も出さないでおこうと。
出てきたら『蒲田行進曲』みたいになっちゃうしなあって。お客様からの指摘もありましたけど。「ああ、『蒲田行進曲』みたいだね」って。
結局最後に映画監督ができて「今までの話は実は映画の中の話だったんだよ」っていう話なんですね。
最初は全員出てきて、それから用意スタートってしようかと思ったんだけど、そうすると(役者が)はけられないし。みんなずーっと舞台に居っぱなしとかいろいろ考えてて、本番までにあのスタイルが出来上がったんですよ。
で、本番観て「ああ、違うやり方もできたかな?」とか思ったり発見できたりというのは有りました。
最初に作ったのが詩の場面でした。
最後の場面を最初に作ったんですか?
そう。この詩をどう料理したらいいかな?って。
他は(人との)やり取りなので、簡単じゃないけど、どれもそれぞれに大変なんだけど対人のやり取りっていうのは、一応誰でも日常でやっていることだから、出来るだろうと。
詩は(人と人との)言葉のやり取りじゃないのでどうしたらいいかわかんなくて。詩だけを言ってるだけってのはつまんないし、なんか見えてこない。
もう、詩だけを姉妹役の二人にほんとに何回も何回も俺の目の前で読んで貰うってことを繰り返してる間に「あ、これはごっこなんだっ」って気が付いたんだよ。詩を読んでるんじゃなくて姉妹が詩を遊んでるんだって。
だからここに詩が突然でてきても面白いんだって解ったのね。
詩には(当人達にとっては)意味がなくて、子供時代にどっちかが好きな詩(音)で口ずさんで遊んでたんだって。だから似たようなフレーズが三回出てきてもそれをどうやって行くかって事が見えてきて。
それが見つかった時にすんごく安心して「こぉーれでこの芝居は作れる!」て思った。
それは自分がずーっと詩を読んできて、詩に意味は無いんだって(あるんだけどね)事を思ってたからだと思う。
詩に「コトバ」としての意味は有るんだけど、意味を見出すことはしなくても良いんだって事を思ってるから。
で、そこからああ、おままごとの延長で行けたら良いかなって事が見つかって、それで行けるかなと。
あとはもうちょっと訳わかんなくしても面白いのかなって思うけど、あんまり極端に図式化していってしまうと解りにくくなってしまうので、そこまではやらなくて良かったかなと思いました。
でもコトバと体の戯曲との距離感が感じられたらなって思うので、そういう実験的な部分は出来たかな。
コトバだけがぽっと浮き上がって来てそれでも笑えたりするなかなかシュールな作品になったなあと思うけど。もっとシュールに出来たかななんてまだまだ可能性が沢山有るなっていうことは見えました。
例えばキヌ子とスズキのシーンでキヌ子を真ん中において、その周りをスズキがぐるぐる廻るとか、子供がやる遊びをやらせて台詞を言って二人の関係を見つけていくとかね。
そういうままごとの延長線上に有る話なんだって言う大事な事を見つけたのね。
ままごとって外でやってて、だから木の下に居るんだけど、ままごとの約束事に「ここは現実は外だけど、家の中のつもり」とかあるじゃない。それで外のベンチが家の中の家具だったり。
姉妹の位置もかみしもで振り分けた事でセンターだけでやらない事が、空間が出来たなって思えたしね。
すき焼きの場面ではね、本物を使っちゃうと匂いこもっちゃうんで次の場面が台無しになってしまうから使いませんでしたけど、全部偽者を使うっていうんでも良かったんだよ。おままごとだから。
すき焼きの鍋の中身が葉っぱだって良いんだよ。ごっこだから。
手紙だって、大きな葉っぱを手紙のつもりで読んだりするのも良いかなって。
ナイフどうしようかなーって悩んだのね。
林檎は例えば赤い毛糸球を使うんでも良いし。でもねえセットが何にもでも見えるようにしちゃてるから、小道具は本物を使うのでもいいかなと。昔のままごとって本物(実際に日常使ってるものをそのまま)使ったりするじゃない。欠けたお茶碗とか。今はカラフルなおままごと用のおもちゃがあるけど。
全体に「ごっこ」になってるからね。その延長にあるんだよってことで。
芝居ってのは「ごっこ」なんだから。「ごっこ」をベースにしていかに日常を出して行くのか、人間が抱えてる感情をだして行くのかっていうのが芝居の持ってるものなんだよ。
後は役者の人がやって(役者も)お客もみんな面白かったなあって思えたら嬉しいし、また水下とやりたいなーって思ってくれたらすごく嬉しい(笑)
やり残した事はありますか?
やり残したことが無いって事は無いんですよ。
やり過ぎて駄目になることもあるし。思いつかなかったこともあるし、本番を観てから「ああ」って思うこともあるし。
たくさんお稽古したからって良い事でもないし。ケーキみたいにぶわーっと膨らんでもふーってしぼんだりするんだし。
発見することは有るけど、発見したからって更に膨らむってことでもないし。
自分が芝居の上でやって欲しい。出来て欲しいということを伝え切れたと思いますか?
伝えきれてるなんて思いませんよ。何か伝えたい事が有るんだなって事は解ってもらえたと思うけど。
演じる為には俳優って言うのはどういう思いがあるのかって事を解って貰えたと思う。
全部を伝えきれるものではないですよ。俺自身だって解ってない事が有るんだもん。
解ってないけど、こういう事なんじゃないかなって思うことを伝えてるわけだから。
本番になって、出来てる・出来てないってことはお客さんが教えてくれるしね。
反応が有る無しってことですか?
そうそうそうそうそう。
ちゃんと解るんだよ。伝わってるかどうかってことは。今日の自分は良い出来かどうか、出来が悪ければどこか悪かったのかって事がわかれば。
何が悪いのかっていうのは自分で解るんですか?
解りますよ。演出に言われたりするし。そういう指摘されたことで「ああ」って思える事は大事なの。後から振り返ってみてから解ることもあるんですけど。
逆に何でお客さんの反応が良かったんだろう?って時も有るんだよ。そういう時にもやっぱり原因が有って、自分が素直に出来てたりするとか。
疲れちゃって、力が抜けちゃってるからその分丁寧にやろうと無意識にやってたのかもしれないし。
楽に立つ事が大事なんだなって事が解ってくれると良いかなあ。頑張って立つんじゃなくていかに楽に立てるかって事が伝えられてたら嬉しいなあ。
そのまま居るって事が出来る事が素敵な役者なんだよ。それを目指していくって事が大事なんだよ。
テンションだけ高くして、体に力が入ってなくてって。僕も当然それを目指しているわけだからね。
でもそれは難しいことだから、難しいことを知ってもらって、出来ても出来なくてもそこを目指していくことが大事なんだって事を知ってもらえたらなあって思ってるかな。表現をする為にはこういう事をする事が必要なんだって事を解って貰えたり、知って貰えたら良いなあ。
舞台で「なんか気持ち良かったなあ」って瞬間が有った時は、声が出てるって事があるし。
そういう何かのきっかけになったら嬉しいなあ。
今じゃなくて良いんだよ。次の舞台の時とかに「ああ。自分に出来るんじゃないか」って、「水下があの時言ってたことはこういう事だったんだな」って。
違う言葉で言われた時に、あっと思い出してたり思い返して貰えれば良いんですよ。
面白かったですか?
うー。 面白いとかじゃなくて、好きになれたなというのは思いました。 話的にはつらいなあと思うんですよ。男女の気持ちの交錯は。
ハッピーエンドじゃないしね。
ダイヤとスペードのチームカラーがちょっとづつ違うのが面白いなあと。本も同じですから。
どっちのチームが本の色に近いのでしょう?
どっちも同じですよ。どっちの色が本にどうとかっって言うのでは無いですね。それは観る側の感じ方一つなんですよ。演出は同じなんだから。
それでも同じ話なのに違う色が出たって事は、もっと両方のチームで色恋的な部分とか、ここを強調しようとか無かったんですか?
それはだって、出演者が違うんだから。だめでしょう。
役者の色とか仁ってものがあるでしょ。それを無視してやって行っても無理が出てしまうし、出来上がりに時間が掛かってしまう。
もしかしたら今回は俺が役者の持ってるものを無視してやらせてるのかもしれないんだし。
役者の持ってる力によってあぶりだされて来るものっていうのがそれぞれにあるんだから、ほかの役者に他の役者のあぶり出し方をしてくれって言ってもそれは駄目なんだよ。本の読み方ひとつとっても一人一人違うんだから。そこに面白さがあるんですから。
俳優個人の持ってる資質を演出が無視しても駄目だし。テキストに書かれてることを本人の資質で読みだしていくんですよ。
作ってて意見の衝突とかはないんですか?
衝突っていうコミュニケーションができるならいいんですよ。
衝突があるのは当たり前で、俺の絵とお前の絵と違うのはなんでだ?って考える起点になるじゃない。
駄目出しを介してお互いの論点が感じられるようになっていければいいんです。
そういう相手の言葉を感じ取れるってことが大事なんですから。感じられる役者であり、演出であり、スタッフなんだから。だから感じる努力の無い人は駄目なんじゃないかな。
配役はどうでした?
バランスは良かったっていろいろな方に言って貰えて嬉しかったなあ。
こことこことをもっとこうやってもっと時間をかけてやってもらえるようにしたいなあーとか、思うことはあったけど。
Wキャストなので一日おきにしかできないからね。休まずに同じ役をやるのって大事なんだよね。テンションをあげないといけないし大変だったろうなあって思うけど。
まあ舞台がきれいだったからいいかな?これからほんとの桜も咲くしね。
関さんの人物紹介ナレーションは何回くらい録ったんですか?
パターンは3つくらいやってもらいましたけど、それはもう一発ОKですよ。
さぁーすが。
さーすがっですよ。
偉そうな言い方でおこがましいですけど。水下さん演出上手くなりましたねえ。
なんかねー。そういう感想を頂いたんですよ。
まあ、慣れてきたって事なんじゃないでしょうかねえ。DCのメンバーと息が合ってきたというか、人の動かし方に慣れて来たというか。自分が出来ることが解って来てるから、その為にはどうしたら良いかなってことも解ってきたし。そういうことかな?
まあずっと−DCさんでやってるからっていうのは有るかもしれないなぁ。『仇討』やって、『LLBB』やって、その時に出て無くても顔は知ってるわけだし。
気負いってのが無くなって、観やすくなったんじゃないですかね
でもほんとに最初のころより、観やすくなったというか。
いや、最初のころから演出のやり方は変わってないもん。
あとは自分が一緒に(舞台に)出てる・出てないってのもあるかもね。
これ(恋愛日記)は出てないから。出てないで、ずーっと出来を観ていられたってのは大きいんだよ。
自分が役者をしないで観てるって事に徹してたからってのは大きかったということですか?。
そう。『恋愛考』のときは自分が中に入っていたから、もっと外から観る事が出来てたらまた違ってたと思うし。
『恋愛日記』は動画に感じました。『恋愛考』はなんだか紙芝居みたいだなあと。場面ごとに切り替わっていくなって。
でも今回は動画だなあと。場面が滑らかになったなあと。
『どんどこどん』の時は言葉しかないから役者と本が離れているという感じで、『恋愛日記』は本と役者が近くなっているというかずれが無いなって思ったんですけど。
『どんどこどん』はそういうもの(言葉と役者が離れている)だし。
でも例えば子供番組で、野村萬斎さんが詩とか読んでると違和感ないですよ?魅力的ですよ?
萬斎さんの言葉で捕らえたものを発しているんだもの、そりゃあしっくり来るものですよ。BG 違和感があるっていうのは良いんですよ。 違和感が作りたくて『どんどこどん』はああいう作りだったんだから。言葉と役者のすれ違いがあるっていうのが良いんだもの。
良いんですか?役者と言葉がずれていってても。
良いんです。言葉が浮き出て来るって事になるなら。ずれてる面白さって事をやりたかったんだから。言葉が浮き上がって役者と言葉がずれて行くって事が出ればいいんです。
言葉だけ残って役者がどっか行っちゃってもいいんですか?
言葉が残るように作ってあるんなら言葉が残っていいの。役者は言葉を残せれば良いんですよ。俺はそういう風に作ったんだから。役者は嫌かもしれないけど。
だから詩も情感たっぷりに読むのは嫌だなあって思って。情感たっぷりに読むのも有りだよ、有るんだけど、情感に溺れちゃったり間違えちゃいけないと思うんだよね。
まあ、変なことを二つまずやってみて、積み重ねてこられたってことはあるよね。
今回はだから、前回試されますねって言われたけど、観た人が判断するわだけども、結果として僕は良い物を作れたと思うし。良い物って言うか、見せられる、人にお見せすることが出来るとこまでの事をしたと思っていますよ。
今回はいろんな人が出てきていて心情が交錯してるって言う面白さがあるよね。心情が交錯することで出来る物語とかの面白さだよね。
・・・・そうだね、でも、慣れたのかもしれないなっ(嬉)
自信は付きましたか?
自信なんか無いですよ。(即答)
でも、作っていて「見せられるようになった、よっしゃーっ!」て思ったんですよね?
よっしゃ、なんてないですよ。ああ、大丈夫だやれるなって思うだけ。
初日から楽まで。俳優さんは変化したんですか?
そりゃ変わるでしょ。
変わって良いんですか?
そりゃそうでしょ。変わらなくても良いし。
幕が開いて、ああこれで良いんだって発見が有る。お客さんが入ったとこでやってみて「ああ、練習した事がこれで良かったんだ」って初めて解る事も有るんでね。
本番が始まる事で変わるかもしれないし変わらないかも知れない。
お客さんの反応によって、発見があると?
そう。反応が有るから自分が緊張するし、緊張が良い事も有るし。緊張し過ぎて悪くなっちゃう事もあるけど。そういう経験をして行くのは大事なんです。
まあ悪くなるってことは有るよね、ダレちゃって。
幕が開いてから手直しとかはあったんですか?
演出は変わってないですよ。手直しとかは有ったりしますけど今回は演出は変えてないです。
手直し無し。
ああ、増えた場面は有りましたよ。
どこらへんで?
エンディングは最初歌わなかったんだけど、歌うようにしちゃった。
でも花組芝居だってそうですよ。変わるんですよ、生ものだから。「なまもの」がやってるんですから。(笑)
ご自分で演出をやることに変わりはないんですか?
ああ。楽になったって気持ちはありますよ、昔はただもう創りたくて、創りたいからやってるって。
まあよそ様のカンパニーでやらせてもらえたってことはありますよね。それがいい緊張感を生んでるってことはあるよね。
最初は知り合いの人とやって。で、よそのカンパニーで誰一人として俺を演劇的には知ってる人が居なくて、演出的にもどうやるのか知ってる人がいないし。
だから必死に伝えないといけない。彼らも僕がどういうお芝居を作るか知らないから、でもお互いに良いものを創ろうって思ってるんだって事は判り合えたし。
自信になったのは、そういう思いが繋がったって事。そこで『仇討』を成功させる事が出来て、自信が出来たかなあ。水下っていう演出の言語を認識してくれる人が出来た。その事が楽になったと言うか、伝える言語が一つここに有るんだって事を作れた。その(最初は無かったとこに)出来上がっていったって事が成長出来たって事かな。
だからそれが観やすくなったって事なんじゃないのかなあ?
鉄塔やって、俳優達が俺を受け入れてくれて、ああ、受け入れて貰えたんだっていう事が安堵感というか。花組芝居の俳優達に受け入れられたって事に安堵感を得られたって事が俺の成長の糧になってるのかなあ。
何より花組芝居の役者は一番厳しい存在だから。
それで、今度は若手で、じゃあこの人達を発表会でないレベルに上げて行かれるかなと。
今まで(俺に)培って来たものが有って、それを伝えるんだけど、それを経験を重ねてるから伝わり易くなってきてるかな。だから「上手くなったね」って言われる事に繋がってるのかな。
嬉しいですよ。上手くなったって言われると。
緊張して(はらはらして)観に行かなくて良くなったなーと。
それは初めてじゃないし。有る程度のものを創るだろうなって思ってもらえるようになったのかもしれない。
まあ、水下さんたら一体何をこさえる気なんでしょ?ってのはありますよ。でも水下さんの目の付け所って変だなーと。面白い目ですよね。
0.1くらいかな?
(・・・・・聞かなかったことにして。さりげなく次の話題へ)
『仇討』の時、初めて本を読んで、嫌な話だなあって思ったんです。なんでこんな本を水下さんは面白いって言うんだろう?って。でも観たらすごい染み込んでくる話だったんだなあって思い直しました。
それはアンテナが違うからでしょ。
はあ。役者のアンテナは特殊なんでしょうか。?
知りませんよ。
創る側として、ああ、これは面白いなって思えるのに、創ったらつまんなかったっていうのは創った側の何かが出来てないんだよ。
『仇討』を観て、やっぱり面白いって思えたんなら、読んだ俺の面白さが伝わったって事なんだからそれは成功したって事だよ。
もしつまんない本でも見せられるように「ここをこうすれば面白くなるんじゃないか?」って頑張るし。
『鉄塔』でも「ああ、え、この配役?」って思ったんですけど。実は。
それは、俺が役者との付き合いの長さとかあるし。
俺はどんな役でも出来ると思うんだよ、俳優は。人間なんだからさ。喜怒哀楽を持ってるんだから。
配役のバランスっていうのは必要だけど。出来るんじゃないかなって可能性があるならどんどんやればいいんだよ。
中尾さんとの出会いは大きいですね。
中尾さんには本当に感謝してます。これからも濃ーくお付き合いさせて頂きたいと思うておりまする。
中尾さんと話の中で、声の出し方とか、ナレーションじゃない声の出し方、体を使って出す声っていうのがどうやってできるようになって行くのかってことを若い人たちには知っていって欲しいって。
現代劇の台詞って短いからね。鏡花みたいに修飾語にくるまれた長い台詞ってないじゃない。そういうことをもっとやっていけたらなって思います。
居るってことは難しい。でもそこに向かって行きたいんだけど。リキが入っちゃうんだよね。
それを「力入ってるよ」って言われて、「ああ、入っちゃってる」って気がつけるようにならないとね。
あと、ハートね。ハートが無いといけない。
気持ちが入ってないといけないし、ハートが相手に響かないと。
判るじゃない、ハートが有るのかどうか。ハートが入ってると下手でも揺さぶられてしまうんですよ。
舞台の上で泣くのは有りですか?
本当は無しですよ。役によっては有りだと思うけど。泣くのは良いんだけど、感情に左右されなければ良いんですよ。俺だって舞台の上で泣くし。でも(舞台を観て)泣くのは客ですからね。
感情に左右されないっていうのは?
今自分が泣いているって事をお客に感じて貰ってるなって事を自分で感じられてるという冷静な観察が出来てる自分が舞台にもう一人いるってことですか?
そうね。俺は今泣いてるんだけど、どうやって泣いてるのかってことが自分で判ればいいの。自分の芝居に感極まって泣くのは駄目ですね。
笑っちゃうのも?笑っちゃって素に戻っちゃう事ってありますよね。
自分が素に戻ってるってことがわかればいいの。で、さっと芝居に戻れればいいの。
留蔵さんのお話※解説ページ参照はお稽古は?現場で場当たりだけ?
もうちゃんとやりましたよ。
『映像が入る』とかト書きが入ってるんで。映像が入る箇所はあらかじめ決まってました。でもなんとなーくプレゼンみたいな感じの内容で、留蔵が司会進行してるみたいだったのね。それは面白くないなって思って。
俺と原川(浩明)は舞台のかみしもで読んで。(松原)綾央には真ん中で芝居をしてもらって。
それでNHKの人にこんな風になりましたよって出来上がったとこで観てもらって、「ああ、こういうことならこういう絵を入れましょう」と話をして。
綾央さんの留蔵さんは素直でいいお役でしたね。
そういう風に観てもらえたのは嬉しいですね。
お肉を食べる場面は最初から食べることになってたんですか?
もともとは本には豚の丸焼きを食べたってなってるの。でも舞台に丸焼き出せないし。
だから、留蔵とアメリカ人の交流場面みたくしてきっとこんな会話してたんじゃないかなーってとこで。
実際の日記を読ませて頂いたんですけど、事実しかないんですよ。『今日も雨、雨』って。『39日間くらいの間に晴れたのは4日間くらいしかない』『また雨だよう』って。
それは現代語訳の日記?
いや本物(コピー)。カタカナ交じりでちょっと読みつらいけど。アメリカに到着してからもどこに食べに行ったとかお菓子をたべたとか事実記述しかない。感想は無い日記。
台本はもともとラジオドラマを仙台で制作されてる方が作ってくださったものだったんですけど。
やっぱりラジオと舞台だと違う事も有るので、ちょっと変更させて貰ったりして。
抜粋みたいにしちゃったんですか?
全部やりましたよ。
頭から最後まで抜かさず?
抜かさず。
衣装は黒の皮パンツで。
あれは原川くんの。
上は黒のジップアップで。
あれも原川くんの。
原川くん衣装持ちなんですね。
はい。
綾央さんの羽織袴姿はかわいらしかったですね。
綾央はものを言いながら羽織の紐を結べるようになりました。
結ぶのってやっぱり難しいんですか?
いやあ。誰だって出来るでしょ。日頃やっていれば。
今は日頃やらないから、練習は必要ですよ。
さあ、私は不器用ですので。
だって靴紐は結べるでしょ、話しながらでも。
不器用ですので。
できるって。こう意識しないでも話しながら話相手みて、靴見てって。
でも羽織の紐って普段ほとんど結ばないけどね。
賢治はやらないんですか?
やりますよ。やります、もうすごいやりたいことがあるんです。
早くやりましょう。
いや、構想は有るんですけどもねぇ。死ぬまでにはやらないとね。死にそうになっても「まだ賢治やってないぞっ」て言われて「ああ、死ねない」って。
死なない原動力なんですか。
もうねぇ、大構想はあるんですよ。すごく。舞踏と一緒にとか音楽はとか。でもむつかしいかなぁ。
(ひとり構想の海に潜る水下氏。)
今回何か勉強になったなってことはありましたか?
すべてですよ。
何かが糧になったなって思えるのは次に何かやる時。次かもしれないし、10年先かもしれないし。でも前にここでやったあれがああここで活きてるんだなってなるならいいんです。
引き出しが増えたってことですか?
うーん、だから何がどうだとか、これが引き出しひとつ増えたとかじゃなくて。きっと自分の引き出しは広がったなって思うけども、それは経験とかそういうことに繋がっていくんじゃないでしょうか。
だから次も楽しみにしててね、と。
そうきますか。
そーうですよ。
続けて観ていってもらうのが大事なの。もう観たくないって言われたらやめるけどさ。
恋愛日記をみて、ああ、水下演出もまた観たいなって思いました。
ああ。良かった良かった。(棒読み)
今年は演出で始まりましたね。
いい年です。
去年まではお正月から観る側は忙しかったんですけど今年はわりと始動がゆっくりですね。
去年やってみて、今年も同じにやったら死ぬなと。
演出ばっかりだと、板の上の水下がみられないんですが。
演出の水下もいいでしょ?
板の上のがいいんですけど。
まあ、いいじゃないですか。
・・・今年もぜひお忙しい板の上に居て頂きたいです。
精進いたします。
本日もありがとうございました。
ありがとうございました。
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