◎P3
←P2 P4→

一度やった作品は変えようと思う、もしくはその時の自分を持っているものを出すので変わっていくものなのですか?

後者ですね。詩を読むときにこう読もうっていうのよりも、また違う雰囲気で「これもアリだなあ」って。
淡々と読むのもすごく良いんですけどね。それはそれで表現豊かで面白くなるし。

年々「水下」は熟成されていくってことでしょうか?

さあそれはどうかなぁ?

美味しくなっていかないんですか?

美味しくはなってると思うよ。でも味はどうだかなぁ。

好みはともかく熟成度合いは高まっていると。

例えばね、『ひかりの素足』は前に読みたいと思ったとき、自分がまだ読めなかったんです。作品の中に嫌いな部分があったり、凄すぎて読めないとか。それは僕がまだ読める年になってないって感じるんです。
『雨ニモマケズ』も読めるんだけど、まだ消化して読めないんですよね、好きなんだけど。
50歳過ぎたら読めるかなーって。読んで、聴いた人が「いい詩だな」って思ってもらえるにはもう少し掛かりそうです。でもね、凄いんだよ、あれはね。

亡くなった後に見つかった作品でしたよね。

そう、手帳にあったんだよね。
『永訣(えいけつ)の朝』は読める。あと、昔布団の話をしたんだけど、その中に読みたいのがあって、どうやったら飽きずに読めるかなってのが難しい。

自分が読んでいて飽きると?

(黙読で)読んでると面白いけど、声に出して読んでると俺の中でもたない、つまんない。
声にすると(自分の耳に)返ってくるものがあるでしょ。黙読は音じゃないので想像するじゃない。(声に出して)単調になってるなと気づいた時点で面白くなくなってしまう。単調さが面白さならいいんだけど、そういうのは「ちゃんと読めてないなあ」って思うよね。

今は『ひとりかい』も『ON-DOKU』も、日常持っている何かを見たり聴いたりとは違う空間を、「こんなのもアリなんだ」というのを堅苦しくなく音楽のライブみたいに楽しくなりたいなと。

水下さんは大阪の方が寛いでる気がしますよ。

店の広さや空間が俺をオフにさせてくれるんだろうね。
幸いにも楽しみにして待っていてくださる方がいらっしゃるし、いろいろな方に観て欲しいな、ちょっとお茶のみに来る感じでね(笑) 例えば好きな演目だけ聴いて帰るとかでもさ。そうでいいんだよ。

『ひとりかい』には聴く楽しみがあります。お芝居は観るものだけど、聴いて自分の頭の中で想像してもう一度物語を組み直すので、知ってる物語でもより楽しめますね。 声の抑揚だったり水下さんの身振りだったり、自分が読んでいたときとはまた違ったものが浮かぶんです。
ところで、まるまる話を覚えて読むのと本を読みながらだとやっぱり違うものでしょうか。

全然違う。自分のものになってるのは、こうやって(普通に)会話するのと同じだからね。
喋るのと同じように出来るので、落語に近くなるというかね。本の場合はを淡々と読むということが出来るしそれも素敵だけど、覚えて淡々と語るとまた全然違うものが出てくる。おばあちゃんが囲炉裏で話すのと同じ。  どっちがいいというのではなくてね。もちろんより良い方がいいけどね。

本を読むのと見ないで語るのと両方取り入れてるのは意識して?

そうそう、本を読むのと違うでしょってところをね。

2部の最後はそうですね。読むのでなく語ると。

そう、そういうのを凄くやりたい。朗読でなくて語るのをね。どっちかというとそっちの方が好きだよね。
『ひかりの素足』は最初の描写が好きなんですよ。最初の何行かなんだけどそれがとても綺麗で。 朝日の光の描写がきれいで、ああいいなぁと。
だから今一生懸命覚えてますよ。

飲みながら?

いやいや、そんなことしながらは出来ませんよ(笑)

←P2 P4→