ひまひまに、殴り書き牡丹燈籠。



<三遊亭圓朝 年賦>

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西暦 月日 和暦 月日 三遊亭圓朝 年賦時代の動き
1839年 5月13日 天保10年 4月1日 三遊亭圓朝 本名 出淵次郎吉誕生  
  5月   蛮社の獄
9月27日 8月20日 高杉晋作 誕生
1840年   天保11年     アヘン戦争
2月13日 渋沢栄一 誕生
1841年   天保12年 5月   天保の改革 江戸三大改革のひとつ  倹約令の施行により、特に風俗取締りで芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖などが行われた。
1845年 3月3日 弘化2年   橘屋小圓太 を名乗り初高座   
1846年   弘化3年     孝明天皇即位
5月10日 和宮誕生
1849年   嘉永2年   二つ目昇進   
1850年   嘉永3年   下谷の紙・両替商葛西屋へ奉公にでる   
1851年   嘉永4年   歌川国義 入門  ジョン万次郎帰国 
1853年 7月8日 嘉永6年 6月3日   ペリー浦賀来航 
  6月22日 徳川家慶12代将軍死去 
  11月23日 徳川家慶13代将軍死去 
1854年 2月13日 嘉永7年 1月16日   ペリー江戸湾再航  
3月31日 3月3日 日米和親条約締結 
1855年   安政2年 3月21日 三遊亭圓朝へ改名 弟子二人入門 下谷広徳寺前の下等の寄席にて初めて真を打つ    
11月11日 10月2日 安政の大地震  
1856年 8月5日 安政3年 7月21日   アメリカ総領事ハリス下田到着 
1858年   安政5年 4月23日   井伊直弼大老職就任  
7月29日 6月19日 日米修好通商条約締結  
  7月6日 徳川家定13代将軍死去  
  10月25日 徳川家茂14代将軍に就任  
1858年〜1859年   安政5年〜6年     安政の大獄  京都所司代 酒井 忠義他による弾圧、投獄措置により一ツ橋家一派による安政の大獄の一因を成したといわれる。  
1859年   安政6年   下谷数奇屋町吹きぬきにて真打の看板を上げる 累が淵後日談(後の『真景累ヶ淵』 )口演    
  10月27日   吉田松陰 獄死  
1860年   安政7年 1月13日   幕府軍艦咸臨丸 斉藤留蔵乗船 
3月24日 万延元年  3月3日 桜田門外の変  
  4月12日 酒井忠義 幕命によって和宮降嫁を出願  
1861年  万延元年   怪談牡丹燈籠 創作  12月5日 アメリカ通訳ヒュースケン暗殺
  文久元年 4月9日 内親王宣下  
9月26日 文久元年 10月20日 和宮江戸に向け出立  
  11月15日 和宮一行江戸到着  
  12月11日 和宮江戸城本丸へ入る   
1862年3月12日 文久2年 2月11日   皇女和宮降嫁
  4月23日 寺田屋襲撃  
8月21日 生麦事件 
1864年   元治元年 6月5日   池田屋事件
12月15日 高杉晋作、下関で挙兵  
1866年   慶応2年 1月21日   薩長同盟成立
7月20日 家茂死去  
12月5日 徳川代15代就任  
12月25日 孝明天皇死去  
1867年 2月9日 慶応3年 1月5日   夏目漱石 誕生
8月20 7月23日 幸田露伴 誕生  
10月14日 9月17日 正岡子規 誕生  
11月15日 10月14日 大政奉還  
  11月15日 坂本龍馬、中岡慎太郎暗殺される(近江屋事件)   
1868年 1月3日 慶応3年 12月9日   王政復古の大号令
1月10日 12月16日 尾崎紅葉 誕生 
10月23日 慶応4年 9月8日 改元 明治となる。 
  明治元年   長男 朝太郎誕生?  明治維新 
1月3日 鳥羽伏見の戦い 戊辰戦争勃発 
4月11日 江戸無血開城 
5月15日 上野戦争 
1869年   明治2年   結婚(明治3年説もある。)  版籍奉還令 
1871年 6月17日 明治4年 5月10日   新貨条例 通貨単位が円になる。
  7月14日 廃藩置県 
8月9日 散発の許可令試行 
8月29日 8月23日 東京への首都機能移転 
1872年   明治5年 4月 芝居話の道具などを弟子に譲り、素噺に転向 4月5日女子断髪禁止令
  太陽暦 採用 
明治6年 3月20日 明治天皇散髪 
1873年   明治6年 11月4日   泉鏡花 誕生 
1877年   明治10年 5月26日   木戸孝光病没 
1878年   明治11年 5月14日   大久保利通暗殺 
1882年   明治15年     田鎖綱紀(たくさりこうき)によって、 日本語速記方式が一応の完成をみた。
1883年   明治16年 7月   鹿鳴館 竣工 
1884年   明治17年 7月 怪談牡丹燈籠  若林?蔵・酒井昇造による速記本出版    
1887年   明治20年     牡丹燈籠 春木座初演 
1889年   明治22年     大日本帝国憲法公布 衆議院銀選挙法思考 
向島 木母寺に 三遊塚建立 
1890年   明治23年     第一回帝国議会開催 
1891年   明治24年 6月 引退表明   
1892年   明治25年 7月   牡丹燈籠 歌舞伎座初演 
1894年   明治27年 8月   日清戦争勃発 
1897年   明治30年   復活 一世一代 口演    
1899年   明治32年 10月 日本橋木原 出演 牡丹燈籠口演    
1900年 8月11日 明治33年 8月11日 "午前二時 下谷車坂下自宅にて病没 進行性麻痺兼続発性脳髄炎"     




その7.


そのとき 歴史は動きを止めた。
三遊亭圓朝が生きた時代というのは、明治の前後。という漠然としたイメージはあったものの、 どちらかと言うと江戸に近い時代なのだと思っていた。
鏑木清方による、肖像画にみる姿は晩年に近い三遊亭圓朝だと思うのだが。清方がこれを描いた時点ですでに圓朝は没している。 清方の記憶とおもひでの中の圓朝像である。美人画を得意とした清方にしては珍しい男性画であるが、 圓朝の気難しそうな表情、神経質そうな印象は写真より伝わるものがあり、肖像画家としての清方の面目躍如と言えよう。
余談になるが鏑木清方は後年圓朝の速記もの連載で好評を博した1884年創刊の 「やまと新聞」の創設者條野伝平の息子であり、10代の頃から 新聞連載の挿絵を書いていた。この清方による圓朝像が、今思い浮かぶ圓朝の姿の殆どとなっていると思われる。
この絵には芝居話を道具仕立てで口演していたころ、江戸市中の腐女子、 婦女子、玄人筋の女たちにいたるまで、人気をかっさらった 岡本綺堂言うところの「緋の襦袢頃の圓朝」の面影は無い。 「緋の襦袢頃の圓朝」は圓朝髷と呼ばれる髷を結いその髪型が大いに評判をとっている。
浮世絵のモデルにもなっているくらいだから、当時のアイドルスターだったと言えよう。 あの鏑木清方の絵からは想像がつかない。
仲之町の芸者が圓朝を気にいって、頭のてっぺんから、足の先まで芸者が誂えた着物足袋で、帰る途中、 圓朝ひいきの吉原の太夫が怒り心頭で、帰宅途中の圓朝をひッ捕まえて、芸者が誂えたものを脱がして 頭のてっぺんから足の先まで太夫が誂えた着物足袋で帰した。という噂になるほどの人気っぷりであった。
やがて元号が明治となり、しばらくして道具もろもろを弟子に譲り、扇子一本の素噺に転向する。
圓朝と言えば、怪談が思い浮かぶが、彼の創作とされる怪談は、怪談牡丹灯籠 怪談乳房榎 真景累ヶ淵 四谷怪談 などで、 それほど数が多いわけではない。それでも毎年夏の圓朝祭りでは幽霊画の展示があったりするから、やっぱり怪談のイメージは強いのかもしれない。
功績を追っていくと壮年期の仕事のように感じるが、三遊亭一門の復興をとげ、師匠の葬儀を盛大に取り計らい、 一門の総帥として押しも押されぬ立場となった頃はまだ20代である。
時代はまだ江戸の名残を随所にとどめ、京では池田屋事件が起きている頃のことである。 騒然としていたのは、京大阪ばかりではないのだろうが、なんとなく、江戸は呑気である。
圓朝が生きた時代を追いかけてみようと、片っ端から資料をひっくり返していくのだが。 血なまぐさい事件に明け暮れる人々がいる一方で、圓朝には、ちっとも影響しない。
なんだか、時代の騒然とした喧騒が彼から漂ってこない。圓朝の話は、でも激動の時代なんて感じない。 これは彼の創作話にも言えるのだが、芝浜も、文七元結、もなんだか、懐かしい江戸の人たちばかり。 明治の文化人として生きた圓朝が作り上げた世界はもっぱら江戸である。 明治という時代に生きながら、 今がそうであるかのような江戸を描き出していく。
圓朝の一人息子朝太郎が、勘当をこうむりその消息を絶つのは、関東大震災のときからである。
それは、圓朝が青春を行き、こよなく愛した江戸と言う町が、文字どうり塵芥となり失われ、 東京として歩み出し、 江戸という時代が時を止めたその時であった。



言い訳。
しこしここさえてるときは、判らなかったが、出来上がったらえらくみづらいものと化しておる。。。 とほほお。
断っておくが、ここの年号あんまり信用しないように。
一代、一元号に改まったのがえーと、、、いつだっけ?、それまで、 何かよろしくないことが起きると、年号が悪いから変えましょうとかいって、 しょっちゅう年号が変わっちゃうので、同じ西暦でも、年号数があわなかったりする。 たくもー。日本の年号はめんどくさいなあ。
おまけに、途中まで陰暦と太陽暦が混在していて、この日付はどっちなんでしょう?っていう 資料の多いこと。。。泣くったらない。
圓朝の年齢を、、、数えで、記してる資料が多くて、混乱したので、書いてません。 年賦の意味ないような。。。
肝心の圓朝の年賦がおもいきし穴だらけなんですが。ははは。。
圓朝が生きた時代がどんな時期だったか、がわかればおもしろいかなーと思って 調べてみました。
豪華で絢爛で騒然として血なまぐさい嵐のような時代。
あ、高杉晋作の誕生があるのに、何で木戸孝允がないかって言えば、木戸孝允は天保4年の生まれだから。 年賦っからはみ出しちゃうのねー。
世界の動きのチョイスは思い切り偏ってますが。(個人的にわたしが好きだから。) 木戸孝允は覚えてるかな?テレビスペシャルで日本の歴史ってやったときに、 むさしやさん、が演じたのが、木戸孝允でした。わーい。幕末一のいい男。てね。
咸臨丸は以前にれぽを書いたので読んでくださった方が居たら嬉しいかな。
松原さんと、原川さんと、むさしやさんが、NHKの公開特番でやったお話。全国放送ではなく、地域特番だったみたいですね。これ。 16歳で咸臨丸に乗り込んだ斉藤留蔵さんのお話。(当然松原さんが16歳の留蔵さんの役ね。)
咸臨丸がアメリカに行った頃、まだ明治じゃないのね。寺田屋事件の前だなんて知らなかったさ。
和宮降嫁で登場した酒井様もこの頃のご活躍。 安政の大獄に一役買ってたとは存じませんでしたな殿。結構暗躍してる人なのだな。
黒船騒ぎがあったり。上野のおやまで戦争があったり。 なんか、落語の世界とは偉くかけ離れた年賦となっております。
途中からめんどくさくなってかきこまなくなっちゃったけど、樋口一葉がうまれたのもこの時代。
そして上村松園や、速水御舟なども同時代。あ。しまった、鏑木清方書き込むの忘れた。 圓朝といえば、この人の書いた肖像画が有名ですが、あの肖像画は圓朝の死後ずいぶん経ってから 清方の記憶からつむぎだしたもの。

あ。結婚前に息子が産まれてますが、出来ちゃった婚じゃないのよ。
いい仲になった娘がいて、子供まで出来たんだけど、諸事情により、その娘と別れて、 玄人筋の女性と結婚したそうです。 まあ、そんなこんな年賦。



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